さいとう よしとも

2006.06.05

わたしあなた イメージの庭

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イメージの庭 vol.3 Saccadic Suppression

せんだいメディアテーク (宮城県仙台市)

2006.06.05 - 06.14

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▼展覧会概要 イメージの庭 vol.3 Saccadic Suppression  せんだいメディアテーク (宮城県仙台市) 20060605 - 20060614

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イメージの庭 vol.3 Saccadic Suppression
2006年6月5日(月)〜2006年6月14日(水)
せんだいメディアテーク


Saccadic Suppression[サッカディック・サプレッション]とは、私たちがものを見る際に起きる現象のひとつです。目はその視界のわずかな中心部しか高い解像度で見ることができない器官ですが、普段なにげなく本の上の文字や動いている自動車をクリアな映像として見ています。私たちの多くにそれが可能なのは、目が絶えず動いて対象を見つめて情報を脳に送り、その視覚情報から映像を合成しているからです。このすばやい目の動きはSaccade[サッケード]とよばれ、最高で1秒間に5回おこなわれています。しかし、それほどすばやく目を動かしたとしたら脳に入ってくる映像はぼやけてしまうはず。それとも、私たちの脳には手ブレ補正機能がついているのでしょうか。
実は、Saccadeの間に見えているはずの「ぼやけた」映像は脳に送られていません。脳のなかで手ブレ補正がおこなわれるのではなく、目を動かす瞬間のぼやけた映像が脳に入らないように視覚が遮断されるのです。これをSaccadic Suppressionといいます。つまり、私たちの脳は世界を鮮明な映像として見るために、あえて盲目の瞬間の連続を作り出しているのです。1日何十万回という瞬間、私たちは世界で起きたことが見えていません。私たちが見ているのは、目を止めた瞬間に見た画面と私たちの脳が補完した画面を組み合わせて作られた、まさに映画の原理のごとき世界なのです。
そのことから、あらゆる映像[Motion Picture=動く・画]が作品として完成するのは、見る人の脳のなかであると言うことができるでしょう。映像は単に「見せられるもの」ではなく、作り手と受け手がイメージを通じて絶えず交感するものなのです。

<展覧会ウェブサイトより>

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